内容については毎回帰宅時に欠かさず付けていた日誌をもとにまとめたもので、書き込んだ日付を末尾に記入してある。 初年度
二年目
三年目
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初期の頃(1997, 4〜1997, 6迄/計25回)
1999,9, 6
ストマジを始めたと言ってもその時は、ずっとやるつもりとかは全然考えてなく「ものは試し」といった感じで、服装も初回の日(4月4日金曜日)は仕事の帰りの紺スーツのままでやった。前にもカバンしか置かず、その日の内容などもあまり日誌には書かれていない。そのあと、とりあえず、もう一回やろうということになり、翌日(2回目)はちゃんと服装も変えた。上はシルクの紫色のシャツに白のコットンジャケットをはおり、下はチノパンをはき、前日同様O氏付き添いで今回はカバンの前にカゴを置いた。 私がストマジを続けるようになったのは、この日が鍵となったと言ってもいいだろう。演目は6本リング、3本ロープ、チャイニーズステッキ、カメレオンハンカチぐらいしか出来ず、特に始めの頃は非常に緊張し、お客さんの顔さえ見ることの出来ない状態であった。リングはその点便利で、重なった部分を見ていると、視線をお客に合わすことなく、顔を向けていられる。 このような状態にもかかわらず、結構ウケたのである。中でもある若い女の人(残念ながら顔は覚えていない)がとても喜んでくれ、なんとbillを入れてくれるという『反響』があった。そのお陰で続ける勇気が湧いてきて現在に至っている。彼女にはお礼を言いたい気持で一杯である(誰か教えて下さい) 3回目からは付き添いなしで単独で行くようになった。しかしまだまだやるのはドキドキ状態で、お客さんの顔も見られず、演技も初日からほとんどサイレント(無口)でやっていた。4回目の時、終わり頃カードマニピュレーションを試しにしてみると、すぐに人が集まった。その頃から徐々に演目を増やして行く。8本シンブル、億万長者、タバコバニッシュなど。 ある程度経った頃から服装を上下白に変えた。と言ってもスーツではなくジャケット&スラックス(またはパンツ)で、もともと上を白にしたのも深い意味はなく、昔買って全然着てないのが、たまたま家にあったからである。カバンも家にあったやつ。 意識的に人を見るようにしないと、人を見ずにしゃべりは出来ない。そうは思っても、大勢集まったりすると緊張して出来ない。演技も問題だが、通りを行く人達が停まって見てくれないと話しにならない。これも時間的また、日にち的なムラがあり、後日梅田の方でもっと早い時間にやってみたが、19:30〜20:00頃は人の動きも停まりも悪かった。日にちは平均的に見て、月末〜月初が停まりがよく、給料日前は悪い。やはり心(懐)に余裕のある時がいいのだろう、季節的に見た場合、単に寒い(暑い)よりは急に寒く(暑く)なった時に停まりが悪い。気候の変化も心のゆとりを少なくさせるのであろう。そういう時は、一旦、停まってもすぐに行ってしまったりする。 当初は21:00位からやっていたが、ある日準備をしている時、突然シャッターが開き大変慌ててしまった。シャッターは閉まっていたが従業員はまだ帰っていなかった模様で、それからは大体21:30あたりをめどにやることにする。一度、土曜日に車で行き、いつも大体23:10位に終わっているのを延長してみた。しかし遅い時間は極端に通行量が減り、話にならない。雨天の場合は、心斎橋筋はアーケードが完備されているので、逆に人通りが増える。増えすぎて困る場合もある(停まり辛くなる) たまにO氏が様子を見に来てくれ、アドバイスを受ける。10回目(5/3)が大盛況となりその日の『反響』記録は、その後当分破られることはなかった。 25回目の6月27日の日誌に、こう書いていた「あまりドキドキしなくなる」と。 |
第2期(1997, 7〜1997, 9迄/計24回)通算49回
1999,9,12
6月の始めよりだんだん暑くなり、上着を薄いものに変えるなどして、しのいでいたが7月に入ると、それでも耐えられなくなり、演技が終わるごとにタオルで汗を拭かなければならなくなった。上着なしでやるか、他に対策はないものか、考慮しながらの日々であった。この頃よく台風が来襲し、臨時休業になった(2回) もともと見返りを期待して始めたわけではないが、やはり『反響』がないと気分がいいものではない。スッと帰られると、その後の演技に影響することもある。 私は、初期の頃より、ほとんど無表情で演技しており、よっぽど反応があって声を掛けられない限り、表情は固いままで、中々緩むことはなかった。これは、やはり性格の問題で、友人たちの前でやる時は、そんなことはなく、逆にニヤニヤしすぎなどと言われる。今後の課題の一つである。 このころよく、見た人から「どこかでしないか?」と誘いめいた声を掛けられる、しかし連絡先を教えたままそれっきりと言うのがほとんどであった。 そんな中、新大阪で、ある祭のようなイベントでマジックをやる話が決まり9月7日の真昼間、屋外でやることになった。13:00〜14:00の間という、いつもと全然違う時間帯のため、予想外なハプニングや今後の課題が多く見つかった。非常に暑く、行くだけで汗だく。始めてみると、フィンガーライトが使えない。始め電池が切れたのかと思ったが、まわりが明るすぎるのである。 演技の方はもともと普段通りのスタイルでしか出来ないと事前に断ってはいた。だから紹介の時も、会場の中の、ある場所でマジックをやっている、ということにしてもらったが、その会場には舞台があったので、あとから考えると、とりあえず舞台上で演技をし、それがもっと間近で見られる、という風に紹介してもらった方がよかった。しかし当時は、まだステージネタはほとんど出来なかったので、現実的には不可能だった。そう言うわけで、次の年はお呼びが掛からなかった。 普段の演技の方は、暑いが上着を着たまますることに決めた。腕まくりはカードマニピュレーションをする都合上、ほとんどオールシーズンしたままである。こんなことはあまり書きたくないのだが、ミナミのこの辺はホストの客引きが多く(男引きの女性もいる)かなりそれが邪魔になる。こっちも合法的でないのでお互い様だが・・・ 客との距離がストリートの場合お客さんまかせになってしまう。ある程度の距離をおいて環状になっているのが理想的だが、そう都合よくはいかず、目の前で座り込まれたりするとかなり困る。一人位だとカードマジックをやって、カードを引かせたりして立たせるが、大勢で座り込まれるとやり辛い。若者の場合すぐ座ろうとする人が多いので要注意である。それに、座ると中々立ち去らない。 となりの「リチャード」前では、毎回ほとんどと言っていいくらい弾き語りの人がいる。ある日こっちの方ばかりに人が集まっているのを見て、その人が弾き語りを中止し、突然奇声をあげ、変なことをやりだした。見てみると通りを行く人に声を掛け、マジックのようなものをしている。と言っても、ボールペンを揺らして曲がったとかそんなレベルである。道行く人も何事かとのぞいて見るが、すぐに去って行った。変に対抗意識を燃やすより、自分の本分をしろと思った。 気候は9月の終わり頃にはかなり涼しくなった。演技の方はある程度人を見られるようになったがトークの方は人数が少ない時以外は中々出来ない。 |
第3期(1997,10〜1997,12迄/計24回)通算73回
1999,9,25
10月に入ると、だんだん涼しくなってきて、半ば頃より上着などを冬用にする。この頃より停めネタとして、ファンカードをやり始める。課題に付いては、なかなか果たせない日々が続くが、一組だけ常連客ができた。名刺を初めて作り、そういう人たちに配るが、やみくもには渡さないことにする。 11月に入りフィンガーライトを客停め用としてやってみる。この時期、大学の発表会がよくあり、それを見たあとにやったりするが、特に近大など、派手なところのを見たあとでは、自分が安物の手品師のように感じる。 11月の終わり頃、また新しいネタをやってみる、スポンジボールである。それにクロースアップネタを、人数の少ない時に、会話をしながらやったりもするようになった(カードマジックや輪ゴムもの)ネタを増やすのもいいのだが、一通り終わった時に、客に「終わった」と感じさせないと「次は何?」となって、演技をダラダラ流してしまい、メリハリがなくなり相手のペースになる。 12月に入ると、月初はよかったが、中旬になると寒さが急に来て、また人の停まりが悪くなり、課題どころではなくなる。しかし、思ったよりはこの月は盛況だ。悪かったのは一時で、やはり忘年会シーズンだからであろう。ただ、コンディションは悪くなる一方で、まだ、指が動かないという状況ではないが、扱う道具が冷たいので、手になじまない、という感じである。その対策としてはハンドクリームを使うことにする。 12/27(土)の日誌に、こんなことが書かれてあった。※理想のパターン:まず2〜3人のグループを停め、クロースアップの手順でひきつけ、その間に客をため、リングなどの手順に行く。 12月は私用などで2回休み、6回しかせず『反響』ゼロの時も1回あったが、『反響』の平均値は今までのうちではダントツであった。 |
第4期(1998, 1〜1998, 3迄/計19回)通算92回
1999,9,26
1月は3日より始めた。正月頃はまだあまり寒くなかったが、1/10(土)あたりから、いよいよ寒さが厳しくなってくる。去年の11月頃から、金曜日の『反響』がだんだん悪くなっている。平日は通行するメンバーがだいたい決まっているからかな?とも考えつつ、別の場所(梅田)でやってみようかとも思う日々であった。 厳寒になってきた最近は、服装も見えないところにどんどん重ね着をしだした。具体的に書くとあまりカッコよくないが、下から、スキー用靴下、スキー用ズボン下、下着シャツ(長袖、半袖各一枚)使い捨てカイロを使う時もあった。難波の高島屋のはす向いに気温の表示があるので、いつ頃からか、それをチェックするようになる。1/24に過去最低1℃を表示する。このように、あまりにも寒い時は、やっているとだんだん手や指の感覚が無くなってきて、もう長時間は無理なので、早めに切り上げることもしばしばあった。 停めネタとしてはよくフィンガーライトをするようになった。これは常時動いていて体を暖められるからだが、なかなか停まってくれないと辛いものがある(何か気恥ずかしい)そこからスポンジボールの手順につなげるパターンもこのころよくする。やはり、金属製のリングは冷たくて、なかなかやり辛い。たまにやっても、落としたりと、思わぬ失敗をする。 1/23(金)ミナミを休みにして、梅田に下見に行く。ミナミほどやれそうな場所は少ない。阪急東通り商店街は、開いてる店や、人通りも多く、道幅も狭いので到底ムリ。あちこち見て廻ったが、やはり昔、メカニカルマジシャンがやっていた、お初天神通り位しか、出来そうなところはなかった。 1/30(金)初めて梅田でする。以前メカニカルマジシャンがやっていたところの、斜め向かいの「かつら屋」前である。今までミナミの、それも全く同じ場所でしかやったことがなかったので、かなり戸惑う。こちらはミナミと比べると道幅が狭く2/3位で、明るさも、向こうよりやや明るい。一番違うのは、気が付いたらすぐ直前に客がいることだ。そのせいか、ツッコミもこちらではよく入る「リングのここ指離されへんのやで」など。 明るいので始めは、フィンガーライトなど出来ないと思っていたのだが、やってみるとそうでもなく、逆に暗いところですると誰の目にもライト(光)に見えるが、適度な明るさの中でやると、赤い物体か、光かの判別がつかず、不思議さが増すことがある。 2月に入るともっと寒くなると思っていたのだが、そうでもなくやり易い日々が続く。梅田は客層はサラリーマンが多く結構『反響率』がよい。アーケードはあるので雨は、しのげそうだが、すぐ脇に通路がある為、吹き込んできて地面がビチャビチャになり、その状態ではやり辛い。2/20(金)そういう状態になった為、初めて「はしごシリーズ」をやることになる。20:45〜21:55梅田、22:35〜23:10ミナミと大変慌ただしかった。 ミナミの方もそんなに悪くはなかった。ただ客層は若者が多く、ホストのキャッチもいるので俗に『ギャル』と呼ばれる人達は特に停まりも『反響率』も悪い。たまに子供連れなども通る。 3月に入ると寒さもどんどんやわらぎ、なんとか中止せずに一年をやり通せた。結局休んだ回数は、12回だった。 6/28(土) 台風来襲のため。 7/26(土) 台風来襲のため。 8/30(土) 山梨ボブスレーランド合宿参加のため。 12/20(土) 祖母のお通夜のため。 12/26(金) 自分が風邪をひいてしまったため。 1/2(金) 正月休みということで・・・ 1/9(金) 通院で、終わってからやる予定だったが、余りにも遅くなり中止。 1/23(金) 梅田でやる場所の下見に行ったため。 2/6(金) 自分が風邪をひいてしまったため。 2/7(土) 友人の結婚式の二次会に参加し、終わってからやる予定だったが、余りにも遅くなり中止(もちろん二次会でもマジックをした) 3/14(土) 家の用事のため。 3/27(金) 余りの疲労を感じたため。 |
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